私の父は建具職人で、一人親方として私たち家族を養ってくれました。
私が小学6年のときに家族で問題となったのは、誰が父の請求書を書くか(手書き時代ですので)、でした。
父は生粋の職人でした、字を書くことに苦手意識を持っていたことが原因です。
それまでは母が請求書を書いていたのですが、当時はもうかなりハードなパートさんでしたので根を上げるのはしょうがないことだと、家族全員がわかっていました。
確か微妙な空気がお茶の間にながれたと記憶しています。
束の間の沈黙の後、あろうことか最年少の私に白羽の矢がたってしまいました。
うまくおだてられ、調子に乗り、その気になってしまったのです。
今、考えると、無鉄砲というか、モノを知らないというか・・・、よくやり始めたと思います。
おかげで「障子」「襖」等の漢字は死ぬまで、忘れないと思います。
父が現場で書きなぐった大学ノートに濃い鉛筆で記された障子、いくつ、単価いくらの文字を解読しながら複写式の請求書を作成しました。
おそらく25歳ぐらいまでは続けたと記憶しています。
今でも大学ノートを見ると、父のことを思い出します。
後年振り返ると自分は小6から既に経理マンだったのかと・・・。

若かりし頃の父です、年齢は推定35歳です。
ちなみに写真の中で一番小さい私は3歳になる直前だと思います。
昭和48年の4月頃と思われます。
手元にある昔の写真の中で若い頃の父の写真はこれくらいしかなく、本当は、私が小6の頃の父の写真をアップしたかったのですが、ないものはしょうがなく、やむを得ず上記の写真となりました。
写真が焼けていて見づらいですが、桜が咲いています、現在は真間川と呼ばれていますが当時は境川という名称でした。
その川の現在は写真のような面影は全くなく、舗装されまくりです。
写真のように昔はちょっとした土手があったのです、土手に降りるときは川に落ちないよう、いつもドキドキ状態だったことを鮮明に覚えています。
ブログを始めた日は6月21日です。
いつ力尽き、辞めてしまうか、わからないのですが
できる限り続けていければと思っています。
6/21を勝手にムーニー(赤ちゃんのおむつ)の日と名付けました。
案の定、妻にはいい歳をした初老が甘えた表現をするな!とのお叱りを受けた今日この頃です。
