コンプレックス編 色白小僧の下地作り ピエロと呼ばれていたあの頃 5

昔話 少年編

前回からの続きとなります。

高校時代、近所に、幼稚園、小学校、中学校が同じで、特に中学校時代に、仲の良かった友達が住んでおりました。

高校2年生の夏休みに、その友達に誘われ、かなりの回数、稲毛海岸の近くにある、ただっ広い、芝生が広がる公園に、通いました、その友達の目的は、日焼けがメインだったと思われます(その友達は、もともと、小麦色の肌を、お持ちでしたが、もう少し焼きたいと、思っていたのだと思います)。

毎回、上記、公園の芝生に2人で寝っ転がり、直射日光を浴び続けました、前述のとおり、私は、真っ赤になり、皮が剥け、色白に戻る暇もなく、真っ赤、剥け、真っ赤、剥け、真っ赤、剥け・・・、を繰返し続けました。

なんとなく、夏休みの中盤頃には、稲毛海岸通いは、なくなったと思います。

すると、どうでしょう、どのタイミングで「剥け」がなくなったか等の正確な記憶は残っていないのですが、まぁまぁ、日焼け色をした肌が、この世に現れたのです。

不思議でした、なぜ、今までの、真っ赤、剥けのプロセスがぶっ壊れたのか・・・。

こちらのメカニズムは、当時、知る由もなく、それから30年以上も経過してから、そのメカニズムを知ることとなるのですが。

このメカニズムは、次回以降のブログで記すと思います(決して大層なことではありません、お許し下さい)

オーロラや虹のように、ほんの束の間で幻のように、消えてしまいましたが、その日焼けした肌を、まじまじと、しみじみと、見て、毎度のように、トンチンカンな、「俺でも、やればできるんだ」との、的外れよろしく、アメーバ(単細胞)気質を発揮した自分が出現したのでした。

しかし、9月も終わりに近づき、本格的な秋(正確な根拠はありませんが、当時は今よりも、四季と呼ばれる季節感がちゃんとあったと思います)を迎える頃には、祈り虚しく(ちょっとづつの色白へのカウントダウンをできたら止めたい、という祈りでした)、筋金入りの色白の肌が出現し始めたのでした、それを食い止めることは、できませんでした。

その後、何度か、その肌色が忘れられず、日焼けに挑戦しましたが、真っ赤、剥け、そして色白、のプロセスを変えることはできませんでした。

流石に、20歳(ハタチ)を過ぎる頃には、持って生まれた特徴だと思い、半ば諦めとともに受け入れ、また無駄な努力にかける時間が勿体無くなり、そのような挑戦は一切しなくなりました。

次回から、色白コンプレックスの「最近の話 初老編」に入っていきたいと、思います、続きとなります。 

今後予定されている投稿(記事)

(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)

下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、

さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。

「初めての喫煙 ヘビースモーカーだった父君様」

「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」

「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」

こちらの写真は、前日9/16にアップしました、立山黒部アルペンルートへの旅行の初日に立ち寄りました観光地での称名滝という滝の写真です。少し調べました、落差が日本一ということです。この日は、写真のように、少し曇っておりました。私の記憶の中では、霧雨だったのか、滝の水しぶきだったのか、正確にはわからないのですが、マイナスイオンをものスゴク、体感した記憶が残っています、ヒンヤリと。この旅行で一番、印象に残っているのは、旅行最終日に立ち寄った黒部ダムも含めまして、前日も記しましたが、この世のものとは思われない程、かつ、作り物ではないかとの錯覚を覚える程の数々の絶景の景色達です、確か、この年の12月に、税理士試験の合格通知がきた、と思います、なので、この頃は、人生にスゴク、諸々の不安を抱えていたときでもありました、それも含めまして、余計に印象深く、懐かしかったので、曇り空のもとでの写真で、写真の色が暗いのですが、アップをしてしまいました。ブログの内容とは繋がりません、お許し下さい。

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