前回からの続きでとなります。
色白についての、コンプレックスにつきましては、他のコンプレックスに比べ、そこまでは大きくなかったと思います。
言われた瞬間は、どう答えていいか、わからず、辛い気持ちをしたことは度々でしたが。
ただ、私が、そう言われて困惑しているときに、話題をさっさと、そらすと言いますか、強引に、それをポジティブな方へもっていってくれると言いますか、助け船を出してくれた、仲の良かった友達も、いてくれました、小学生や中学生時代の友達です、もう、お付き合いはありませんが、念が届けばいいなぁと思いながら、ありがとうございました。
元来、能天気でもある自分です、日常、鏡等で、自分が目にする自分は、当たり前ですが、見慣れまくっておりますので、本当に自分は、色白なんだなぁ、と意識することは、日常的には皆無でした(何かの折に触れられると強烈に意識する、という具合です)。
色白コンプレックスは、人に言われるまでは、都合よく、能天気に忘れている、無意識に眠らせている、そんなコンプレックスでも、ありました。
また時代も手伝ったと思われます、(これは本当に)誤解を恐れずに申し上げますと、当時、男性は特に、日焼けをしている方が良しとされていた時代でも、あったと思います、女性でもキャンペーンガール様達の小麦色でのテレビCMが、たくさんあったと記憶しております。
現在は、肌を大切にするという考えが根底にあると思いますが、逆の流れになっていることは感じます。
色白コンプレックスを持っていた私が発した、ある意味、斜に構えた言葉です、そう思われない方々、お許し下さい。
またまた、今現在、いわゆる日焼けを推進するサンオイルは、殆どなくなってしまっています、上記、当時(主に1980年代をイメージしています)は、たくさんの日焼けを推進するサンオイルがありましが。
ここからは、当時といいますか、50歳ぐらいになるまでの私が、日焼けをすると、どのような状態になったかを、お話ししたいと思います。
中途半端ですが、続きとなります。
今後予定されている投稿(記事)
(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)
下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、
さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。
「初めての喫煙 ヘビースモーカーだった父君様」
「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」
「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」

この写真は、私が50歳ぐらいになるまでの自分史上、最も日焼けをしていた、一瞬だけの幻のような時期です。なぜ、このように日焼けができたかは、明日以降のブログに記す予定ですが、本当に、自分にとっては、大袈裟に例えるのなら、陽炎やセミが成虫となってからの寿命のように、儚い幻のような時期でした。この写真は高校2年生のときの文化祭のときのものです、前日のブログにアップしました左側の写真は、おそらく、その文化祭の後、2ヵ月、経過したか、していないかぐらいの時期の写真となります、ご覧のように、もうすっかりと色白の自分がいるのです。ちなみに8/31と9/2にアップしました写真も、儚き同時期のものと思われます。もし、お読みになっていてくれましたら、「せめて当時の写真ぐらいは」シリーズのパート6となります。

