今回も前置きが、長くなりそうです・・・、お許し下さい。
このブログを書き始めたら、当日の記憶が次から次へと・・・、思い出されてきまして・・・、何回か書いているかもしれませんが、私のこのブログは、いつ思い出すことができなくなるか、という恐怖心との闘いの側面もございまして、書けるときに書いておこう、という考えが根底にありまして・・・、お許し下さい。
ブログタイトルとは直結しない箇所が多くなりそうです、ごめんなさい。
お昼ご飯は、現場の近くにありました、喫茶店的(若しくはスナック的)な店構えのお店だったと思います、誤解を恐れずに言いますと、当時(今でも皆無ではないと思いますが)、店構えは、一切関係なく、ラーメン、蕎麦、うどん等、なんでもござれのお店は、まぁまぁ、あったと、自分勝手に、感じております(根拠は、全くございません、お許し下さい)。
そのお店で、父君様も私も、てんぷら蕎麦とカツ丼的な、2人前を平らげる、昼食をとったと思います(父君様も私も若かったです)、ただ、私の方は、結構、お腹いっぱい状態となり、少しばかり、苦しかった記憶が、今さらながら、蘇ってきました。
その現場へは勿論、朝から行きました、ここから(やっと)、ブログの副題へ、繋がっていきます。
私は、父君様の職人芸を眺めていました。
(私が行う、お手伝いは、ドアや障子や襖等の建具を運んだり、たくさんでる木くずの掃除等なので、手が空いている時間は、かなり、多かったのです)
と、同時に、父君様が吸うタバコも眺めていました。
驚くことに、絶え間なくの状態でした、父君様の現場での喫煙本数は、どれくらいであったのか、正確にはわかりませんが、おそらく、最低でも2箱は、吸っていたのではないかと思われます。
現在でありましたら、チェーンスモーカーと呼ばれていた、と思います。
当時の我が家では、母君様が、タバコの煙、匂い等を苦手としておりましたので、父君様が、お家の中でタバコを吸うことは、私が小学生の高学年以降は、なかったと思います、なんとなく、私が小さい頃は、父君様は、自由に喫煙をしていたと思います(時代もあったと思いますが、お茶の間のテーブルの上には、大きな灰皿が置かれていたような気がします)。
この、お手伝いの日の記憶を・・・、もう少しだけ、お付き合い下さいませ。
現場からの帰り道、木下街道沿いのラーメン屋さんに立ち寄り、二人で遅めの夕食をとりました、現場でのお仕事が長引いたのか、現場自体が遠かったのかは、定かではないのですが、下手をすると午後10時近かったと思われます、申し訳なかったと思ってくれたのか、夕飯自体は、また、ラーメンとチャーハンと餃子的な大盤振る舞いだったと記憶しております、またまた、さらに嬉しかったのは、期待はしていなかったギャランティをいただけたことです、テーブルの下より、さりげなく、ホラっと手渡されました。
続きとなります。
今後予定されている投稿(記事)
(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)
下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、
さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。
「稼働日数360日 24時間戦えますか?の巻」
「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」
「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」
「書き順(筆順)と雪だるま? 悲しき小僧の入学準備の巻」
「懐かしきボロ市 10円で買えるものはありますか?の巻」
「神保町の恋の物語 ダイエットいらずの巻」

こちらの写真は、このブログに何度かアップしました1989.5/5の写真となります。場所は、ご存知、千葉市にありますポートタワーでございます。はたしてアップしてよいものかどうか少しだけ悩んだ写真となります。約37年前の写真です。何度かこのブログにも記したと思いますが、なんとなく、こんな下らない事も、いつかは思い出せなくなるんだろうなぁと思いますと、今更、隠してもしょうがないなぁと思い、結局、アップをしてしまいました。不快な思いをしてしまった方へ、お許し下さい。銘柄は、いわゆる赤ラークと思われます(現在も赤ラークを嗜んでおります)。ちなみに親友O君は、昔も今も喫煙者ではございません。最後に、鼻からも煙が・・・、お許し下さいませ。

