割り込み編 忘却の彼方は寂しいですか?の巻 1

このブログについて

いきなりの割り込み、大変、申し訳ございません。

急なのですが、書き記しておきたいことが、出てきまして、お許し下さい。

先日(本当に最近です)、実家に帰った時に、兄と姉と話す機会がありました(私は、兄、姉、私の3人兄弟なのです)。

その折に、昔の私について、今までにブログに記したこと、今後ブログに記すであろうことにつきまして、可能な限り、色々と尋ねてみました。

しかし、 当時、我が家では、まぁまぁの、トピックでありました私に関する事柄(事件)については、ほとんどと、いっていいほど、兄と姉の記憶は、曖昧になっておりました。

昔は、笑い話し、として、精度の高いお話しをたくさん、していた(してくれた)のですが。

辛うじて、確かに、あったと思う、という回答は、全てにおいて、いただけたのですが。

勿論、当事者であります私と、比較する方が、おかしいと思っております。

じゃ~逆に、兄と姉の事柄(事件)について、私がちゃんと答えられるかと、問われれば、自信は・・・、なので逆の立場でありましたら同じ状態だったと思われます。 

忘却は、過去の恐怖、苦しみ、苦痛等の嫌な記憶を忘れるために、脳みそ様がお持ちになっております機能だと思います、嫌な記憶や必要がないような記憶は、どんどん整理されていくのかもしれません。

またまた、大袈裟に考えてしまいました、

忘却は、自然の摂理とも感じてしまう自分がいます、つまり人間の力では、抗えない、自然界の法則(ルール)のようなものなのかもしれません。

とは言うものの、やはり、自分が辿ってきました、道と言いますか、人生が、忘却の彼方へ、は、寂しく感じてしまう自分がおりまして・・・。

あらためて、その言葉の意味を噛みしめますと、(自分流の解釈です)

忘却(完全に忘れ去られ、もう二度と思い出せない)の彼方(はるか遠く)へ・・・・・、繰り返しとなりますが、やはり寂しいです・・・。

なので、このブログでは、関係者各位には、絶対に迷惑がかからぬようが大前提となりますが、過去の記憶が忘却の彼方になってしまう前に、できる限りオープンにしながら、事実は事実のまま動かさず、刻み込むような感覚で、続けていければと強く思ってしまいました。

少し、中途半端なのですが、続きとなります。

今後予定されている投稿(記事)

(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)

下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、

さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。

「稼働日数360日 24時間戦えますか?の巻」

「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」 

「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」

「書き順(筆順)と雪だるま? 悲しき小僧の入学準備の巻」

「懐かしきボロ市 10円で買えるものはありますか?の巻」

「神保町の恋の物語 ダイエットいらずの巻」

この写真は、本日ブログ本文、実家に帰った日の、実家に向かう前に撮りましたJR本八幡駅の南口ロータリーの写真です。雨が降っておりました。なんとなく、記憶に残っていることを記したいと思います、写真右側、奥には、昔、本屋さん(2階以上の)がありました、写真中央コンビニがあるビル(ビル自体の建替えがあったかどうかは不明です)の地下には、何度か行きました飲み屋さんがありました、写真左側のマックは、相当前からマックのまま、変わっていないと思います(小学校4年生ぐらいのときに、初めて友達と行ったマックです)、また、そのマックから見て、対角線上の向かい側にも本屋さんがありました・・・、ロータリーの形状自体も随分と様変わりしております。実家に帰るときに、随分と変わってしまった街並みを眺めていますと、感慨深さとともに、寂しさを感じます。この日も、本当に、たくさん、色々な事を思い出しました。時が経ち過ぎたから、当たり前のことなのかもしれませんが、小、中、高、とずっと公立で、全て市川市にある学校に通っていましたが、本八幡駅付近を歩いていても、不思議なことに、昔の友達を含めた知り合いの方に会うことがありません。なぜか、無性に寂しさを感じてしまう自分がおります。

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