コンプレックス編 色白小僧の下地作り ピエロと呼ばれていたあの頃 3

昔話 小僧編

前回からの続きとなります。

結論から先に申し上げますと、私の当時の色白の肌は、日焼け(直射日光)への耐久性がゼロ状態だったのです。

具体例を少々(?)、記していきたいと思います。

これは、3歳前後のお話しです、幼児の頃の記憶として残っている、僅かなものの一つとなります。

天候が優れなかった(基本、曇りで、時折小雨のような)、とある夏の日に、家族で九十九里浜へ海水浴へお出かけしました。

当時、父君様の夏のお休みは、お盆休み(8/13~8/16頃)だけでした、その頃は、わりと、当時の台風の時期とぶつかっていた記憶があります、なので、お盆休み中の家族でのお出かけは、天候を選べるほど、お休みの日数が、なかったので、上記天候の日での、お出かけになったのだと思います。

しかし、それは私にとって、幸いでした。

曇りでも、水着(当時であり、幼児だったので素っ裸であった可能性もゼロではございません)で、砂浜を駆け回って遊んでいたシーンを、微かですが思い出せます。

物心がついてからの、初めての海水浴だったのかもしれません、とても嬉しく、楽しかったのだと思います。

その後、夜、就寝前までの記憶は一切ありません。

上記、曇りの天候でありましたが、潮風の影響か、かなりの日焼けをしてしまった幼児の私がおりました、主に背中が酷かった、とのことです、母君様より教えてもらいました。

横になり、背中を敷布団につけると、強烈に痛がって、泣きわめく私がいたようです。

(幼児であった私の皮膚は、悲鳴を上げたのです)

(この瞬間の記憶も僅かですが残っております)

これは推測ですが、背中は真っ赤になり、近いうちに、水膨れとともに、皮が剥けることが約束されている状態であったと思われます。

半世紀以上の前のお話しですが、輝くばかりの晴天の日であったのなら、どうなっていたのだろうかと、考える自分がおります。

ここからは、かなり鮮明に記憶に残っています、痛がり泣きわめく私をどうしようか、と母君様、それを聞いた父君様は、私を、おんぶ、して夜の散歩に出かけてくれたのです、当時住んでいた近所の光景を、父の背中越しから、眺めている夜の風景を、今でも鮮明に、思い出せるのです。

昼間、遊び回り疲れていたと思われます、もしかしたら、背中にあたる夜風が心地よく、そのまま、眠りに落ちたのかもしれません。

続きとなります。

今後予定されている投稿(記事)

(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)

下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、

さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。

「初めての喫煙 ヘビースモーカーだった父君様」

「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」

「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」

こちらの写真は、夏の風物詩、隅田川か昭和記念公園か、どちらかの、花火大会での、打上げ花火の写真です。どの写真をアップしようかなぁと考えながら、写真を選んでいましたら、この写真が強烈に目にとまり、今日のアップに繋がりました。数年前のものと思われます、今日のブログの内容との接点は、「夏」という以外、思い当たりませんでした。ほとんどブログの内容とは繋がりません、お許し下さい。

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