I am 坊主 小僧の悲しき釣り物語 6

昔話 小僧編

前回からの続きとなります。

I am 坊主とのお話しとは、ほぼ繋がらないのですが、私の数限りない失敗を目の当たりにした場合の家族の反応を少し記したいと思います。

妻君様は、私をからかうネタが、さらに、できたと、ほくそ笑み、大人で優しい愛息子は、いいんじゃない、問題ないよ、の一言を、愛娘は、もう気を付けてね、と至極当然の反応で、三者三様なのでした。

節無し竿事件の日には、もう一つだけ、思い出があります。

ガックリと肩を落とし、この世の終わりか、お先真っ暗と思える程、落ち込んでいた私の目に入ってきたのは、帰り支度の際、ちょっと離れていた場所で、ベテランであろう年配の釣り人がカレイを釣り上げた場面でした。

凄く、羨ましく、自分には釣るチャンスは、もう巡ってこないだろうと思わされ、余計に追い打ちをかけられ、落ち込みました・・・。

いきなりお話しが変わってしまいますが、

I am 坊主のお話しの続きの前に、ここから少し、マイ釣り道具の自分史(遍歴)のお話しを記したいと思います。

ただ、マイ釣り道具に関します記憶は、かなり曖昧なのです。

基本、一人でいる時間が多い私は、空いた時間には妄想(妄想癖は小さい頃からあまり変わっていないと思います)を繰り広げます、その妄想時間に、ブログに記すことが予想されていたマイ釣り道具の事を何度か思い出そうと挑戦したのですが、どうも時間軸も曖昧で、半分も思い出せなかったかもしれないのです。

ノンフィクションを心掛けている、このブログに反しないよう、慎重に、事実とできる限り相違しないよう記していきたいと思います、なので、どっちだったか、本当によくわからないような曖昧な記憶(高確率でそうであっただろうと思われるものは記していこうと思いますが)は、すっ飛ばしての尻切れトンボのようなお話しの展開になってしまう可能性もあると思いますが、記していきたいと思います、ご了承下さいませ、お許し下さい。

まず一番最初に、

マイ釣り道具の購入資金(軍資金)の出所は、おそらく、不定期なお小遣い、不確定なお年玉等がメインだったと思われ、よく私の釣りに付き合ってくれた父からの寄附も僅かながらにあったと思います。

私が小学6年生になってからの父からの寄附は、このブログの一番最初に記しました小6から経理マンに記載されている請求書、書きのギャランティの意味合いも込められていたのかもしれません。

私が2番目に手にしたマイ釣り道具は、確か・・・

続きです。

今後予定されている投稿(記事)

(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番はあてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)

下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、

さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。

「異常事態発生 アンチ紹介会社 雨後の筍状態の巻」

「犬の糞擦りつけられ事件 涙の帰宅道の巻」

「内助の功 頑なに拒むの巻」

「コンプレックス編 色白小僧の下地作り ピエロ時代も含めて」

「初めての喫煙 ヘビースモーカーだった父君様」

こちらは富浦旧港と呼ばれています釣り場(堤防)です。

先日アップしました写真は、新港でこちらは旧港なのです、新港とは車で10分から15分ぐらいの距離があります。

ちなみに旧港は、アライデ(抗えぬ遺伝子の物語)でアップしました海水浴場から目と鼻の先です。

砂浜と堤防は、お互いに見合える距離なのです。

こちらは7~8年前の春先の写真と思われます、顔がきれてしまっていますが、私です。

本当にまぐれで釣れましたヒラメです、坊主時代からは、とてもとても、考えられず、想像もつかない釣果なのです。 

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