内助の功 頑なに拒むの巻 2

昔話 中年編

前回からの続きとなります。

既に記しておりますが、私が独立開業をしたのは、今から約20年前です。

このブログの最初の頃に、記しました地獄の資金繰り時代のお話しなので、約18年前、前後のお話しとなります。

「何でもいいから、仕事、手伝おうか?本業に手を出されるのが嫌なら、事務所の掃除、コピー取りでも、何でもやるよ」と優しく。

色々な意味で苦しんでいた私を、なんとかしてあげたい、という、本当にありがたい、お気持ちからの、お言葉だったと思います。

その頃、妻君様は、フルタイムで働いておりましたので、かなりの覚悟の上での、お言葉であったと思います、そんなことをしたら、他にもたくさんやる事があるのに、自分の時間などは皆無に等しくなってしまうからです。

また、このブログでは、初めて記しますが、妻君様は、税理士の資格を所有しているのです。

(参考までに:税理士と名乗り、税理士業務を自ら行うためには、税理士会に登録をしないといけません、妻君様は、登録はできるが、していないという状態にあります、また妻君様は、本来の税理士業務は、あまり好きではないということが登録をしていない理由の一つとなります、なので、妻君様は、私の大部分の仕事を手伝うということは可能なのです、そうしますと益々、お手伝いの範囲が際限なく拡大していき、益々、自分の時間がなくなっていく可能性をはらんでいたのです)

上記提案は、一度ならず・・・、何度も打診をしてくれました。

その大変有難い提案を、(正直に告白すれば、喉から手が出るほどの状態でもありましたが)、毎回、丁重(?)に、お断り申し上げました。

妻君様は、昔も今も変わらず、上記税理士資格取得時代に得た知識をフル活用して、また、それ以外の知識経験も活用し、とある組織の中で大活躍をしております、なので余計に、しがない私の事務所の仕事の犠牲になり、そのキャリアに傷をつけたくなかったということも、お断り申し上げた理由の一つとなります。

本当は、もう一つ、理由があるのです。

ない頭で、考えました、上記お断り申し上げた理由の他(勿論上記理由も重要なことです)、もう一つ、重要な事が頭を過ったうえでのお断りでした・・・

続きとなります。

今後予定されている投稿(記事)

(現時点で思いついているブログのタイトルです、順番は全く、あてになりません、お許しください(備忘のためのメモとなります)。さらに違うものの投稿が先になる可能性も充分あります、お許し下さい)

下手をすると投稿すらされない可能性も充分ございます、なぜならタイトル先行で現時点で内容は全く考えていないからなのです、

さらに仮のタイトルとなります、お許し下さい。

「悲しき詳細な分析書類 ゴミ箱直行が約束された涙の書類達の巻」

「コンプレックス編 色白小僧の下地作り ピエロ時代も含めて」

「初めての喫煙 ヘビースモーカーだった父君様」

「麗しのサッポロ一番味噌ラーメン 死んだふりは通用しなかったの巻」

「夢かもしれなかった中山競馬場で起こった悲しき小僧の物語」

こちらの写真は、前日9/5にアップしました写真と同じ日の写真(箱根のどこかでの妻君様との写真)と思われます。

前日の写真と同じく、スゴク小さかった愛息子が撮ってくれたものと思われます。

若かった頃、一時期ですが、日帰りも含めまして、妻君様と、箱根には、よく行きました。

阿佐ヶ谷駅から新宿駅、新宿駅からロマンスカー(小田急線)という経由だったので、わりと苦もなく、行くことができたからです、あとは、やはり若かったので体力があったということも要因の一つと思います。

この瞬間を必死に思い出そうとしましたが、無理でした、ただ、前日の写真で私が左手に持っている愛息子が当時着ていたコート(マフラーも)は、よく憶えています、愛息子が、本当にスゴク、小さかった頃に着用していたものです。

今は、その愛息子は、身長も私を追い抜き、本当に立派になってくれました。

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